天の川と北東の星空 - 木星とスバル
六呂師高原にて天の川を撮影しました。視界がとても良好でした。北東の星空にスバルと木星が輝いています。木星の周りの衛星もよく写っています。
『天の川と北東の星空』















『天の川と北東の星空』















夕暮れ - 六呂師高原にて
見たままの色合いで写っています。ノートリミングです。
『夕暮れの彼方』










『夕暮れの彼方』










鳶 - 六呂師高原にて
鳶、均整のとれた姿で実に美しいです!見ていて惚れ込んでしまいます。六呂師高原にて。










一乗谷の中秋の名月 - 月光で撮る
2011.9.12、唐門のライトアップが消灯したあと、中秋の名月による月光により撮影しています。月の左側にアンドロメダ座の一部が写っています。ノートリミングです。
『中秋の名月光と一乗谷』





『中秋の名月光と一乗谷』





一乗谷にて中秋の名月
一乗谷の朝倉氏遺跡(福井県福井市城戸ノ内町)にて、中秋の名月を観月してきました。今年の旧暦の十五夜は昨日の9月12日、タイミングも6年ぶりに満月になりました。
一乗谷での満月です。





一乗谷の朝倉氏遺跡の十五夜を撮影した写真の一部を紹介します。以下すべてノートリミングです。
『一乗谷にて中秋の名月』















この日の20時の南東の方角の星空です。月齢14.3で満月となっています。

1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに、朝倉孝景(義景の父)は一乗谷に本拠を移し、越前を平定しました。一乗谷は1573年までの103年間にわたって越前の中心として繁栄し、京や奈良の貴族・僧侶などの文化人が下向し、北陸の小京都とも呼ばれました。城内1万人という戦国時代屈指の巨大都市でした。1555年より朝倉義景は自ら政務を執るようになりました。足利義昭は、将軍になる前の1567年から1568年の数ヶ月、一乗谷に滞在しました。1568年、義景は一乗谷にて義昭の元服祝いを盛大に行いました。この年の中秋の名月について考えてみましょう。
この年の十五夜は1568年9月6日でした。この日の20時の南東の方角の星空です。月齢は14.6で、この日も満月でした!

お月見はもともと、古くから中国で行われていた風習のようです。日本では奈良・平安時代に伝わり、貴族たちが月下で詩歌を詠み、華やかな月見の宴を催すようになりました。昨日と約400年前となるこの星空の様子を比較してほしいのですが、ほとんど同じですね。当時の一乗谷の人々も、このような見え方でお月見を楽しんでいたことでしょう。ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)が生まれて間もない頃です。コペルニクスが『天球の回転について』を発表してから20年くらい経ったころで、この戦国時代には既に海外の人たちと多く交流がありました。世の中の考え方が、天動説から地動説になっていくまさに激動の時代でした。
電気の無い時代、真っ暗な夜空のなかでお月見を楽しんでいたことでしょう!今よりもっと星空は澄んでいたと思います。
一乗谷での満月です。





一乗谷の朝倉氏遺跡の十五夜を撮影した写真の一部を紹介します。以下すべてノートリミングです。
『一乗谷にて中秋の名月』















この日の20時の南東の方角の星空です。月齢14.3で満月となっています。

1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに、朝倉孝景(義景の父)は一乗谷に本拠を移し、越前を平定しました。一乗谷は1573年までの103年間にわたって越前の中心として繁栄し、京や奈良の貴族・僧侶などの文化人が下向し、北陸の小京都とも呼ばれました。城内1万人という戦国時代屈指の巨大都市でした。1555年より朝倉義景は自ら政務を執るようになりました。足利義昭は、将軍になる前の1567年から1568年の数ヶ月、一乗谷に滞在しました。1568年、義景は一乗谷にて義昭の元服祝いを盛大に行いました。この年の中秋の名月について考えてみましょう。
この年の十五夜は1568年9月6日でした。この日の20時の南東の方角の星空です。月齢は14.6で、この日も満月でした!

お月見はもともと、古くから中国で行われていた風習のようです。日本では奈良・平安時代に伝わり、貴族たちが月下で詩歌を詠み、華やかな月見の宴を催すようになりました。昨日と約400年前となるこの星空の様子を比較してほしいのですが、ほとんど同じですね。当時の一乗谷の人々も、このような見え方でお月見を楽しんでいたことでしょう。ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)が生まれて間もない頃です。コペルニクスが『天球の回転について』を発表してから20年くらい経ったころで、この戦国時代には既に海外の人たちと多く交流がありました。世の中の考え方が、天動説から地動説になっていくまさに激動の時代でした。
電気の無い時代、真っ暗な夜空のなかでお月見を楽しんでいたことでしょう!今よりもっと星空は澄んでいたと思います。